2010年5月1日土曜日

チェ・ゲバラ


アメリカが犯した罪、引き起こした惨劇を、つまり私たちが見た同じものをあなたたちもみてくるべきだ

ジョン・レノンに「最もかっこいい男」といわれたチェ・ゲバラという人をご存知でしょうか?
チェというのは親しみを込めた愛称で「ゲバラ兄さん」というニュアンスだそうです。

ゲバラはアルゼ ンチンの裕福な家庭に生まれ、医師を志していました。
26歳のときに自分の目で世界を見ようとしてバイクで旅に出ました。
そこで、あまりの貧富の差に驚きます。 これだけの不均衡は注射器では治せない
医師としての個人的な成功を考えていたゲバラは、ほかにできることはないかと模索します。

アメリカの近くにキューバという国があります。
この国は天然資源が豊かな国ですが国民は非常に貧しかったのです。
それは政府がアメリカの操り人形で、富はすべてアメリカが吸い取っていたからです。

そこでカストロとい う男が、キューバを開放するために立ち上がります。
その志に惚れてゲバラも軍医として同行します。 ゲバラたちたちはキューバ上陸時に待ち伏せに会います。 情報が漏れていたのです。 80名以上いた仲間はたった17名にまで減ってしまいます。 このときカストロは「17人もいれば勝ったも同然だ」といいますが、 ゲバラはカストロが絶望のあまり頭がおかしくなったと思ったようです。

ところがカストロには勝算があったのです。 搾取され続けた民衆がきっと味方になってくれるという勝算が。 カストロたちはゲリラ的な戦法で次々と戦果をあげていき、積極的にメッセージを発信しました。 キューバ国民は次第にゲバラたちを支持するようになりました。

 そしてついに2万を越すキューバ正規軍をおしのけ政権の奪取に成功したのでした。 これはゲバラたちが負傷した敵兵に対してきちんと治療を行ったことも関係しているようです。 「革命軍は捕虜 を殺さない」といううわさがキューバ軍内に広まっていたため、 ちょっとでも戦局が悪くなると次々と投降者が現れたのです。

歴史を紐解くと、革命家が前の支配者をしのぐ独裁者となることも珍しくありません。 ゲバラたちはどうだったのでしょう。 ゲバラたちがまずはじめにしたことは自分たちの給料を半分以下にすることです。 そして教育と医療を無償化しました。 アメリカのユダヤ人が掌握していた利権をキューバに取り戻しました。 工業相になってからは自ら建設現場で働いたり、工場のラインに立って作業を手伝いました。 これは一過性のパフォーマンスではなく普段の光景でした。

誰よりも早く出勤し、遅くまで仕事し、みんなと一緒に食事をとるゲバラの人気は高まっていきました。 ゲバラのすごいのはここからです。


キューバが安定したと見るとゲバラは再びゲリラとして銃弾がほほを掠めるような生活に戻っていったのです。

『フィデル、僕は今この瞬間多くのことを思い出している。 初めて君と出会った時のこと、革命戦争に誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。 死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、死の現実性を突きつけられ慄然とした。 後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死しかないのだ。 僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。 だから僕は君に、同志に、そして、君の国民達に別れを告げる。 僕は党指導部での地位を正式に放棄する。 大臣の地位も、司令官の地位も、キューバの市民権も。 今、世界の他の国々が、僕のささやかな助力を求めている。 君はキューバの責任者だ から出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。 もし僕が異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向うだろう、とりわけ君に。 僕は新しい戦場に、君が教えてくれた信念、人々の革命精神を携えてゆこう。 帝国主義があるところならどこでも戦うためにだ。 永遠の勝利まで。革命か、死か』

そして運命の1967年10月8日、ボリビア山中でCIAのゲバラ追跡部隊に指揮されたボリビア軍に捕らえられ、 その翌日、全身に弾を撃ち込まれて射殺されました。 39歳の若さでした。

 アメリカ(ユダヤ)はそれまでしゃぶりつくしていたうまみをゲバラたちに奪われ、ゲバラを恨んでいたのでした。

 どうですか?なんというかっこよさでしょうか。 これは男でも惚れます。 かっこよすぎです。そして、ゲバラを殺したのがアメリカを牛耳るユダヤ金融資本家というわけです。 金のために人を殺してもなんとも思わない。 私はユダヤを絶対に許しません!!

世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、 心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。 それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。
ゲバラは日本を訪れたときに広島を訪問しています。
大阪のホテルに泊まっていたゲバラはスケジュールの合間にそっと抜け出して広島の原爆資料館へ行き「日本はこれほどのことをされてなぜアメリカのいうことを聞いているのか?」と語ったといいます。

ゲバラはカストロに「日本へ行くことがあるなら必ず広島へ行って欲しい」といいました。
そしてその約束を守りカストロも広島を訪問しています。
ゲバラも男ならカストロも男!

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